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エッセイ








 

客観的って何だろう

 
科学哲学で
昔、科学哲学のページに投稿した内容です。
科学的客観はあるのか?
月が地球の周りを回っているのは、誰が見ても客観的事実でしょう。という問いに
月を地球の周りを回る物理的な物と見るのも、陰と陽の風情を見るのもその人の主観じゃないか?
と答えた人の話が未だに脳裏に残ってたりします。

'客観的'を使う時は
'客観的'をどういう時に使うか。

'客観的'を使う時は、それを使って'何か'を納得してもらおうと思う相手がいます。

それは、私以外のほとんどの人が、そうだと思います。
何故そう言えるかというと、本などを読んでいると出てくる'客観的'が、あからさまにそれを意図しているからです。

客観的について考える

話をするときは'その人が思う客観的'な部分まで掘り下げて話をします。

本はどうでしょう。
'その人が思う客観的'な部分まで掘り下げて書く事なんて、とうてい無理です。
なぜならば、反応を見ることが出来ないからです。
話をするときは、反応を見て、相手が解るところまで掘り下げる事が出来ます。

こんな話はどうかな?
「地球は、丸いらしいよ。」と言うと
「そんなん当たり前やん。」とか、
「そんなん常識やん。」とか、
「科学的に証明されてるやん。」とか言う返事が来ます。
そのあと、「ホントに丸い上に立ってると思うの?玉乗りみたいに。」と聞くと、
「思ってるよ。」と言います。
「見たことあるの?」と言うと、
「あるよ。」と答えます。
そのあと、「テレビででしょ。ホントに見た訳じゃないでしょ。昔は、大きな亀の上に象がのって、その象の背中に地面が乗ってるって、だまされていたんやよ。今、丸いとだまされてるかもしれないとは考えないんですか?」と。
すると相手は、納得させるために、 '私の思う客観的'まで掘り下げて、科学的な話をしだします。

'客観的'っていうのは存在しないのか

本の作者の場合は、見ず知らずの読者の'その人が思う客観的'を、ある程度想定して、もしくは意識せず、もしくは主観的に、書かざる終えないのです。

'その人が思う客観的'自体が、そのひとの主観なのですから。
それじゃ、'客観的'っていうのは存在しないのかというと、どうなんだろう。

'客観的'とは常識

客観的=主観的だったら、客観的なんて無いでしょうと、反論されそうですが、
一人では客観は存在しませんが、二人で存在しないと客観という言葉自体なくなるので、それはさけたいですね。

二人が話をして、二人ともが常識だと思うことを、客観的と言っていいのではないか?

'客観的'を納得させるために使う時は、 '私以外の人から見ても'とか '誰から見ても'と言っているのと一緒です。
'客観的'とは常識(みんなそう思うこと)ではないでしょうか?

'客観的'が存在しない

二人だけで納得したことを、客観的っていうのは変だと思うでしょう。
しかし、二人にとっての'客観的'が存在しないと、それこそ'客観的'自体が無くなってしまいます。

少し考えてみましょう

二人の'客観的'を認めなかったらどうなるでしょう。

三人の常識ならどうでしょう。
その三人以外の人は、認めないでしょう。

ある宗教団体だったらどうでしょう。
その宗教団体以外の人は認めないでしょう。

日本だったらどうでしょう。
日本以外の国は、認めないでしょう。
(日本の常識は、世界の非常識)

地球だったらどうでしょう。
宇宙人は認めないでしょう。
(宇宙人が、いてる、いてないは、別として。視野を地球外まで広げている人もです。)

宇宙だったらどうでしょう。
宇宙外生物は認めないでしょう。
(視野を宇宙外まで広げている人もです。)

それこそ、'客観的'はなくなります。
客観的は、二人以上の人が、常識だと思うことではないかと思います。

間違いです
上の私の意見は間主観と言うものらしく、
客観的とは区別されているようです。